Tham khảo Chiến tranh Nhật Bản-Lưu Cầu

  1. 「雑録後編2」No.851
  2. 上原 tr 64
  3. 「大日本古文書巻16・島津家文書之3」No.1452「去々年貴邦の軍役について天下の命に任せて使礼をもって演説のところ、過半を調達、珍重々々」
  4. 入唐. nhập Đường là tên nguyên gốc của cuộc chiến.
  5. 上原 tr60
  6. 「雑録後編2」No.785
  7. 「島津家文書之二」(「大日本古文書・家わけ16」)No.1119
  8. 「雑録後編3」No.1862尚寧宛義久書状「別て貴国の流人、左相府の御哀憐を以て本国に之を送らるる。其の報礼の遅延然る可からず。急ぎ一使を遣わすに謝恩の意の厚きを以てすべし。其の期に莅めば馳走を遂ぐ可き者也」
  9. 「雑録後編4」No.532島津家久「呈琉球国王書」「今際聘せず、明亦懈たれば、危うからざるを欲して得べけんなり」
  10. 「喜安日記」「若那、童形のときよ大明南京へ学問に渡り、年久しくして帰国せし故か、大和の風を知らざる故に、天下の大事に及びぬるこそうたてけれ」「今度琉国の乱劇の根本を尋るに、若那一人の所為なり。その上佞臣なり。」
  11. 「奄美大島諸家系譜集」「笠利氏家譜」「慶長十三年、日本薩州縦り御攻め取りの刻、両御大将舟を召し、一艘は笠利湊江御着岸、先一艘は同間切の内、雨天湊江御着岸。先一番佐文為転江御勢を向けられ、畢、為転薩州の御手に属し奉り、大島中の手引きをして、 則ち島人を降参せしむ」
  12. 「奄美大島諸家系譜集」「前里家家譜」「然処に、鹿府より樺山美濃守様、本琉球対地の為、当津大和浜江御差入之宛、則ち茂手樽降参いたし、用物薪草野等捧げ奉り、首尾好く此の地相納り、之より数日ご滞在に及び、順風を以て、本琉球え御渡海なられ・・・」
  13. 「渡海日々記」「十六日・・・此日とくと申嶋江類船之内十三艘参候」
  14. Shō Taikyū đã xây dựng nên Tenryu-ji song không ai biết về vị trí của nó.
  15. một cảng ở thị trấn Amagi. 天城町・湾屋港
  16. nay là cảng Kametoku ở thị trấn Tokunosima town.徳之島町・亀徳港
  17. 「肝付家文書」「公(肝付越前守兼篤)の船及ひ白坂式部少輔の船唯二艘、徳の島の内かなぐまに着す、此間18里、従者の舟は同嶋の内わいな(湾屋)に着す、共に着する船7艘なり、ここにて敵一千ばかりかけ来り、通夜舟の辺を囲居るの際、翌18日、各船より下りて鉄炮を放ちかくれば、暫も支へず崩れ行を追打に首50ばかり討取けり、内当手の士前田左近将監・伊達斛兵衛尉・白尾玄蕃允・有馬藤右衛門尉・坂本普兵衛尉各分捕して5人を得たりと云々、同20日、同嶋の内あき徳に至(原注:かなくまより五里)、味方の舟二三艘此所に着けるに、敵寄せ来たりしをここかしこに追詰、二三十人討取しと云々、同21日、あきとくを出、海路七八里程行けるに、俄に風悪くなりしかば、辛して漕戻し又元の泊の隣かめそう(亀津)と云所へ着す、あきとくにて樺山氏を始兵船二十艘渡海、同湊に入、当手の小舟もここにて追付奉る、都合舟数70余と云々、」
  18. 「渡海日々記」「ときじんの城あけのき候、巳之刻程に俄に打ちまわり候て、方々放火共候」
  19. Shimazu Yosihisa, Yoshihiro, Iehisa
  20. 「喜安日記」「西来院は数年薩州に住居ありて殊更御両三殿御存知の事なれば行向て無為和睦を申調られよ」
  21. 「喜安日記」「二十九日早天」
  22. 大湾 hay 大湾渡具知 (Oowan Toguchi) hạ lưu sông Hijya
  23. 「雑録後編4」No.553「樺山権左衛門久高譜中」「明くる日悉く那覇の津に到らんと欲するも、爰で津口に鉄鎖の設け有るを之聞き、鉄鎖有る、則ち豈に一船の津隈に入るを得んや、且つ亦、他江の軍船繋ぐ可き無し。是を以って四月朔日に、物主等の乗る船五、六艘をして、件の指南を以って那覇津に到らしめ、其の余は悉く陸地に上がらしめ、干戈を手に共にして進み向かうに・・・」
  24. Phái đoàn Satsuma: 大慈寺, 市来織部, 村尾笑栖. Lưu Cầu: 具志上王子尚宏, 西来院(菊隠), 名護, 池城安頼, 豊美城續, 江栖栄真, 喜安, 津見. "nhật ký của Kian"
  25. Ichirai-Oribe (市来織部) và Murao-Syosu (村尾笑梄) cùng quân của họ. "Nhật ký của Kian"
  26. Kerr. p159.
  27. Smits. tr16.
  28. Toby, Ronald. "State and Diplomacy in Early Modern Japan." Princeton: Princeton University Press, 1984. pp46-7.